一人で外食することは、ほとんどなくなりました。
しかしその日は検診で朝食抜きだったため、仕事の前に何か食べておこうと思いました。
ある駅の構内に天丼屋さんがあったはずと記憶をたどり、何とかお店までたどり着きました。
入ると「空いてる席へどうぞ」の声。
空いている席がわからない私は「どこが空いていますか?」と尋ね、肘をつかませてもらい席に着きました。
どこまでサポートが必要かわからない場合、「ご案内必要ですか?」と聞けばいいだけなのになぁ、とぼんやり思いました。
注文の天丼が運ばれると、お盆にはスプーンが・・・。
「スプーンお付けしました」
でも、お箸はお盆にのっていません。
お店の人は離れてしまったので、テーブルの上を探り、箸を探しました。
天丼をスプーンでって・・・。
お箸で食べにくいと思って気を利かせたのだろうけど、子供じゃないんだから・・・
それより肝心なお箸の場所を教えてほしかった。
お箸を探った時、漬物の容器を発見!
見えないと漬物がテーブルにあるのもわからないので、「お漬物もありますよ」の一言、欲しかったなぁ。
食べ終わって伝票をテーブル探って探しましたが、伝票も「こちらに置きます」とか、最初に案内してくれたら良かったなぁ。
このように、日々の小さなことで、色々気が付いてしまいます。
でもこれって、自分が見えなかったらどうして欲しいか、それだけでだいぶ解決すると思うのです。
想像力ですね。
ちょっと話がそれますが、これは誰を尊重するかという視点にも繋がる話だと思うのです。
ところで、出勤途中、子供が点字ブロック上でうろちょろしており、お母さんは自転車置き場から自転車を出そうとしていました。
私が近づくと、「○○ちゃん、危ないわよ」という声が聞こえましたが、お母さんが子供を引き寄せるでもありません。
まただ、と私は思いました。
後にも先にも一回きり、これだ!と思うことがありました。
地下鉄の入り口で遊んでいた子供に、私の存在を認識したお母さんが言った台詞は、
「お邪魔よ」でした。
なんて素晴らしいのでしょうと感激しました。
今から数年前のことです。
相手の存在を尊重すれば、子供がちょろちょろしていることが「お邪魔よ」という言葉で出てきます。
自分達の存在を尊重すれば、「危ない」という言葉になります。
自分や自分の子に、白杖が当たるのではないかという危惧です。
どちらの親の子が将来幸せな大人になるのでしょうか。
*気軽に参加いただける体験会/オンライン体験会も実施中。詳しくはこちからら>>
川口育子さん
視覚に障がい
視覚に障がいのある育子です。
見えないから見えてくる世界があります。
そんなことを、書いてまいりたいと思います。